江戸の怪談が生んだ記念日
1825年7月26日、文政8年の夏。江戸・中村座の舞台で、四代目鶴屋南北作『東海道四谷怪談』が初演されました。毒殺されたお岩が幽霊となって復讐を果たすこの物語は、観客を震え上がらせ、日本の怪談文化の原点となりました。現代の「幽霊の日」は、この初演の日を記念したものです。
この作品が画期的だったのは、江戸時代に実際に起こった事件をモデルにしていたことです。現実と虚構の境界を曖昧にすることで、幽霊という存在への信憑性を高めました。興味深いことに、この手法は現代のホラー映画やゲームでも「実話に基づく」という謳い文句として継承されています。
200年後の今日、幽霊は娯楽として消費されています。しかし、科学は幽霊という現象をどう見ているのでしょうか。
物理学が示す「不可能性」と「可能性」
マンチェスター大学の物理学者ブライアン・コックス教授は、現在の物理学では幽霊の存在を説明できないと主張しています。その根拠は二つです。
第一に、熱力学第二法則との矛盾です。もし幽霊が人の目に見えるなら、そこには何らかのエネルギーが発生しているはずです。しかし、孤立したシステムが外部からエネルギーを得ることなく同じ状態を保つことは、物理法則上不可能です。エントロピー増大則に従わない存在は、既知の物理法則を超越していることになります。
第二に、大型ハドロン衝突型加速器(LHC)での未検出です。CERNのLHCは2012年にヒッグス粒子を発見した世界最大の素粒子加速器です。もし幽霊が何らかの物質で構成されているなら、LHCで検出されているはずですが、そのような証拠は一切ありません。
しかし、カリフォルニア大学バークレー校のBob Jacobsen教授は反論します。「アクシオンが存在するかどうかはまだわかっていない。幽霊がアクシオンで構成されていないと誰が断言できる?」
アクシオンは中性で微小な質量を持ち、従来の物質とは相互作用しません。理論上、電磁場で光子に変化したり戻ったりすると考えられています。この性質は、現れたり消えたりする幽霊の特徴と一致します。さらに、幽霊は電磁場の強いところで現れるという報告とも符合します。
もう一つの仮説は、高次元存在としての幽霊です。幽霊が4次元以上の存在なら、3次元の私たちが認識できないのも説明がつきます。超弦理論では、宇宙は10次元または11次元とされており、特定の条件下で高次元の効果が3次元世界に「影」として現れる可能性は、完全には否定できません。
脳が作り出す「幽霊」
スイス連邦工科大学ローザンヌ校のOlaf Blanke研究チームは、実験室で幽霊体験を再現することに成功しました。
実験では、目隠しをした参加者が体の前で手を動かし、ロボット装置が背後からその動きを再現して触れます。動きとタッチが同期している間は問題ありませんが、時間的遅延を導入すると、参加者は「存在しない誰か」を感じ始めました。数人の被験者は最大4つの「幽霊」を数えたと報告しています。
fMRIによる脳活動の測定で、自己と他者を区別する脳領域の活動が混乱していることが確認されました。通常、脳は身体からの感覚入力と運動指令を統合して自己の身体境界を認識しています。この統合プロセスが乱れると、脳は「自分ではない何か」の存在を誤って検出してしまうのです。
人間の脳は、限られた情報から素早く結論を引き出すよう進化してきました。顔の認識は生存に不可欠な能力であり、脳のかなりの部分が顔を見分ける処理に充てられています。この能力が、時として存在しないものを「顔」として認識してしまう——これがパレイドリア現象です。
心理学者のDavid Smailesは、ほとんどの人が幻覚的体験をしていると考えています。ほとんどの人はそれを無視しますが、一部の人は説明として幽霊に頼るのかもしれません。私たちは感覚が正確な情報を与えてくれると信じているため、幻覚を体験すると、本能的にそれを信じてしまいます。
確証バイアスも重要な要因です。幽霊の存在を信じている人は、日常的な現象——扉のきしむ音、風で揺れるカーテン、古い建物の軋み——を幽霊の仕業として解釈しがちです。恐怖体験は強烈な記憶として残りやすく、同様の状況で再び恐怖を感じる可能性を高めます。
未来の観測技術が明かすもの
現代の科学技術は、かつては検出不可能だった現象を観測できるようになりました。電磁波、重力波、ダークマター。2015年、LIGOによる重力波の直接観測は、時空の歪みを捉えることに成功しました。地下深くの暗黒物質検出実験では、通常の物質とほとんど相互作用しない粒子の検出を試みています。
AI技術による大規模データ解析も進んでいます。心霊スポットでの人々の生理反応を統計的に分析すれば、環境要因と心理的反応の関係が明らかになるかもしれません。超低周波音は人間の不安感を引き起こすことが知られており、音響・電磁環境の詳細解析により、物理的要因と心理的体験の因果関係を特定できる可能性があります。
重要なのは、科学的懐疑心を保ちながらも、新しい現象への探究心を失わないことです。電磁波、放射線、量子現象も、発見当初は「超常現象」として扱われていました。
答えは、まだ誰も持っていない
物理学者の中には熱力学法則を根拠に否定的な見解を示す者もいれば、未知の素粒子の可能性を指摘する者もいます。脳科学は幽霊体験の多くが脳の誤認で説明できることを明らかにしました。それでも、すべてが解明されたわけではありません。
7月26日の「幽霊の日」は、200年前の江戸時代から続く怪談文化を振り返るとともに、科学とオカルトの境界について考える機会です。真摯な科学的態度とは、簡単に否定も肯定もせず、証拠に基づいて冷静に判断することかもしれません。
幽霊が実在するか否か。その答えは、まだ人類の手に委ねられています。
Information
参考リンク:
- CERN公式サイト: https://home.cern/
- スイス連邦工科大学ローザンヌ校の研究論文: Current Biology誌掲載
- 量子意識理論(Orch-OR): ロジャー・ペンローズ、スチュワート・ハメロフ共同研究
用語解説:
fMRI: 脳の血流変化を測定することで、脳活動をリアルタイムで可視化する技術
熱力学第二法則: 孤立系のエントロピーは時間とともに増大するという法則。簡潔に言えば、エネルギーは散逸し、秩序は失われていく
LHC(大型ハドロン衝突型加速器): 全周27kmの世界最大の素粒子加速器。ヒッグス粒子の発見で知られる
アクシオン: 理論上予測される未発見の素粒子。ダークマターの候補の一つ
パレイドリア: ランダムな刺激の中に意味のあるパターン(特に顔)を見出す心理現象



































