2025年7月16日、未来への期待と熱気が渦巻く大阪・関西万博。その中でもひときわ注目を集めるルクセンブルクパビリオンで、歴史的な調印式が執り行われた。日本の宇宙スタートアップ「ElevationSpace」と、ルクセンブルクの宇宙創薬企業「Exobiosphere」が、宇宙と地球を繋ぐ新たなサプライチェーン構築に向けた基本合意書(MoU)に署名したのだ。
その興奮冷めやらぬ直後、筆者は幸運にも、ElevationSpaceを率いる小林稜平CEOに話を聞く機会を得た。世界が注目する提携をまとめた直後とは思えないほど、気さくな笑顔で取材に応じてくれた小林氏。しかし、その口から語られる言葉の数々は、日本の宇宙開発の未来を一身に背負うかのような、熱く、真摯な覚悟に満ちていた。
「我々が作っているのは、宇宙から地球にモノを持ち帰るためのカプセルです」
そう切り出した彼の言葉から見えてきたのは、単なる輸送サービスではない。宇宙での発見を、地上の人類の進化へと直結させるための、壮大なビジョンだった。
月1回の「宇宙往還便」が、創薬の常識を覆す
小林氏が率いるElevationSpaceが挑むのは、宇宙で得られた成果物を、必要な時に、必要なだけ地球へ届けられる「高頻度サンプルリターンサービス」の構築だ。
「将来的には月に1回の頻度で宇宙と地球を往還する仕組みを目指したい」
小林氏は、きっぱりとそう語る。

なぜ、この「高頻度」が革命的なのか。その答えは、彼らが最初のユースケースとして見据える「宇宙創薬」にある。宇宙の微小重力環境は、細胞老化や特定疾患の進行を加速させることが知られている。これは、新薬の候補物質が有効かどうかを確かめる「スクリーニング」の時間を、地上に比べて劇的に短縮できる可能性を秘めている。
しかし、そこには大きな壁があった。宇宙で得られた貴重なサンプルを地球へ持ち帰る「帰りの便」の圧倒的な不足だ。これまで、国際宇宙ステーション(ISS)からサンプルを持ち帰る機会は、有人宇宙船の帰還に合わせた年に数回程度に限られていた 。特に、生物サンプルは鮮度が命だ。「早く持って帰らないと悪くなってしまう」 と小林氏はその課題を指摘する。
ElevationSpaceの小型回収カプセルは、この時間的な制約を打ち破る。実験が終われば即座に地球へ帰還できる彼らのサービスは、宇宙創薬を研究室の「特殊な実験」から、実用的な「産業」へと飛躍させる、まさにゲームチェンジャーなのだ。
「はやぶさ」のDNAを受け継ぐ、唯一無二の帰還技術
宇宙から無事にサンプルを持ち帰る。言葉にすれば簡単だが、その裏には想像を絶する技術的な挑戦がある。最大の壁は、大気圏再突入時に発生する強烈な熱だ。
「大気圏再突入では、最大3000℃もの熱が発生します」 。
小林CEOは語る。この灼熱地獄から、どうやって貴重なサンプルを守り抜くのか。その答えが、ElevationSpaceの技術の核心であり、日本が世界に誇る宇宙探査の歴史そのものだった。
彼らのカプセルは、「アブレータ」と呼ばれる特殊な断熱材と炭素繊維でできている 。これは、カプセルが落下する際に表面が熱で少しずつ分解・蒸発し、その気化熱で内部の熱を奪うことで、中身を熱から保護する仕組みだ 。
そして、この技術には極めて強力な裏付けがある。
「我々のCTOは、JAXAで『はやぶさ』や『はやぶさ2』の大気圏再突入カプセルを手がけていた人間です。そのJAXAの技術を活用しています」 。
小惑星探査機「はやぶさ」が、7年間の旅の末に届けた小さなカプセル。あの感動を支えた日本のトップ技術が、ElevationSpaceの中で脈々と受け継がれているのだ。そして、この大気圏再突入技術を持つ日本の民間企業は、現在彼らしかいない 。
2026年、日本初の挑戦へ。そして「宇宙量産」時代へ
ElevationSpaceの挑戦は、すでに具体的なタイムラインの上にある。
「我々の最初の衛星打ち上げは、最短で2026年後半以降を予定しています」 。
この初号機は、彼らの技術力を証明するだけでなく、日本の宇宙開発史における新たな一ページを刻むことになる。このミッションでは、ユーグレナ社の協力のもと「ミドリムシ」を宇宙へ運び、実験後に生きたまま地球へ帰還させる計画だ 。日本の宇宙機が、生きた生物を宇宙から持ち帰るのは、これが史上初となる 。
さらに小林CEOは、この帰還技術が拓く未来を2つの軸で語ってくれた。
一つは、「宇宙開発の未来」そのものへの応用だ。将来、人類が宇宙で生活するための食料源や、人工衛星に使われる部品の技術実証など、宇宙で活動するために不可欠なテストに、彼らの帰還サービスは活用される 。
そして、もう一つが「地球上の生活」を豊かにするための応用だ。今回の提携の主軸である「創薬」はその最たる例だ 。さらに、地上では水と油のように混ざらない物質が均一に混ざる無重力環境を利用し、地上では作れない高性能な合金や半導体材料を製造し、地球の産業に革新をもたらす 。
「究極的には、宇宙で物を量産する世界を目指しています。そうなれば、当然月1回では足りないくらいの頻度が必要になる」 。
2030年代には月1回の往還を実現し、その先の「宇宙量産」時代を見据えるElevationSpace 。彼らが創り出す宇宙と地球を繋ぐ道は、人類の可能性を、文字通り空の彼方へと進化させていくに違いない。
【用語解説】
MoU(基本合意書)
2つ以上の当事者の間で交わされる合意文書の一種である。正式な契約書よりも拘束力は弱いが、交渉段階での合意事項や協力の枠組みを確認し、今後の協力関係の基礎を築くために用いられる。
アブレータ
宇宙機が大気圏に再突入する際に、機体を数千度の高熱から守るための耐熱保護材である。表面が熱で溶けたり蒸発したりする際に気化熱を奪うことで、内部への熱の伝達を防ぐ仕組みを持つ。
スクリーニング(創薬)
新薬開発の初期段階で行われるプロセス。数万から数百万にも及ぶ化合物の中から、病気の原因となる特定のタンパク質などに作用する「薬の候補」を効率的に選び出す手法を指す。
ポストISS時代
現在、宇宙実験の主要な舞台である国際宇宙ステーション(ISS)が、2030年末に運用を終了した後の時代を指す。ISSに代わる新たな宇宙での活動拠点をどう確保するかが、世界の宇宙産業における大きな課題となっている。
フリーフライヤー
国際宇宙ステーション(ISS)のような大型の拠点にドッキングせず、独立して地球の軌道上を飛行する無人の人工衛星のこと。独自の電源や通信機能を持ち、長期間の実験や観測を行うことができる。
微小重力
地球上と比べて重力の影響が極めて小さい状態のこと。地上では重力によって妨げられる現象(物質の均一な混合や、純度の高い結晶生成など)を観察・実験できるため、新素材開発や創薬研究において特有の環境を提供する。
大気圏再突入
宇宙空間から地球などへ帰還する物体が、大気圏に突入する現象およびそのための技術。機体は時速2万km以上で大気と衝突するため、強烈な減速Gと数千度の熱に晒される、宇宙航行における最難関技術の一つである。
【参考リンク】
株式会社ElevationSpace(外部)
JAXAの技術を基にした大気圏再突入技術で、宇宙からの高頻度サンプルリターンサービスを開発する日本の宇宙スタートアップ。「誰もが宇宙で生活できる世界を創り、人の未来を豊かにする」をミッションに掲げる。
Exobiosphere S.A.(外部)
ルクセンブルクを拠点とする宇宙創薬企業。微小重力環境を活用し、数千のサンプルを同時に試験できる高スループットな実験プラットフォーム(OHTS)を開発。次世代の宇宙利用を牽引する。
JAXA(宇宙航空研究開発機構)(外部)
日本の宇宙航空分野における基礎研究から開発・利用までを一貫して担う国立研究開発法人。「はやぶさ」に代表される宇宙探査や、ロケット、人工衛星の開発運用など、その活動は多岐にわたる。
Luxembourg Space Agency (LSA)(外部)
ルクセンブルクの宇宙セクターの発展を担う政府機関。経済の多角化と持続可能性を軸に、宇宙資源利用を含む国家宇宙戦略を推進。国内外の企業や研究機関との連携を積極的に行っている。
株式会社ユーグレナ(外部)
微細藻類ユーグレナ(和名:ミドリムシ)を活用し、食品や化粧品、バイオ燃料の研究開発・販売を行うバイオテクノロジー企業。栄養価の高さから、将来の宇宙食としての可能性も研究されている。
【参考動画】
【参考記事】
【PRTIMES】ElevationSpaceとルクセンブルクExobiosphere社が宇宙空間からの高頻度サンプルリターンサービスの実現に向けた基本合意書(MoU)を締結(外部)
本記事のきっかけとなった、ElevationSpaceとExobiosphere社のMoU締結を報じるプレスリリースである。提携の背景や目的、両社CEOのコメント、そして今後の展望について公式な情報がまとめられている。調印式の写真も掲載されており、当日の様子をうかがい知ることができる。
【編集部後記】
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。未来はいつも、数名の熱い想いから始まる。今回の取材で、筆者はその言葉を改めて実感しました。
記事でご紹介した挑戦は、彼らの情熱が未来を切り拓いていく、その確かな第一歩です。この一歩がなければ、新しい時代の扉は決して開かれません。
この扉の先で生まれるであろう新しい常識や価値観を、皆さんはどのように想像しますか。私たちも皆さんと共に驚き、考えながら、この時代の変化を見つめていきたいと思います。