7月20日【今日は何の日?】「アポロ11号が月面着陸に成功した日」─大きな一歩は大きな無駄遣い?

 - innovaTopia - (イノベトピア)

1969年7月20日、人類史上初めて月面に足を踏み入れた瞬間を、あなたはどのように想像されるでしょうか。今から56年前のこの日、アポロ11号のニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン飛行士が、38万4千キロメートルの彼方で人類の夢を現実にしました。

人類の野望を乗せた宇宙船

アポロ11号計画は、1961年にジョン・F・ケネディ大統領が宣言した「1960年代の終わりまでに人間を月に送り込み、安全に地球に帰還させる」という壮大な目標の結実でした。この宣言の背景には、1957年のソ連によるスプートニク1号の打ち上げ成功と、1961年4月のユーリ・ガガーリンによる人類初の宇宙飛行という「宇宙開発競争」での遅れに対するアメリカの危機感がありました。

高さ110メートル、重量3,000トンという巨大なサターンV型ロケットは、まさに人類の技術力の結晶でした。このロケットの第1段だけで、ボーイング747旅客機160機分のエンジン出力を誇り、打ち上げ時の轟音は32キロメートル離れた場所でも聞こえたほどでした。アポロ宇宙船は、司令船コロンビア、月着陸船イーグル、そして3名の宇宙飛行士─司令官ニール・アームストロング、月着陸船操縦士バズ・オルドリン、司令船操縦士マイケル・コリンズ─を乗せて、7月16日午前9時32分にケネディ宇宙センターから打ち上げられました。

興味深いことに、この歴史的な瞬間を世界中で約6億人もの人々がテレビで同時視聴していました。これは当時の世界人口の約6分の1にあたり、人類史上最大の「共通体験」となったのです。4日間の宇宙飛行を経て、アームストロング船長とオルドリン飛行士は月着陸船で月面に降り立ち、約21時間半という短い時間でしたが、人類は初めて地球以外の天体に足跡を残しました。一方、コリンズ飛行士は司令船で月軌道上に待機し、「世界で最も孤独な男」と呼ばれながら、仲間たちの無事な帰還を支えたのです。

永遠に語り継がれる言葉

月面に第一歩を踏み出したアームストロング船長の言葉は、今なお世界中の人々の心に響き続けています。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」─この歴史的な瞬間の言葉は、単なる個人的な達成を超えた人類全体の進歩を象徴していました。

アームストロング自身は後にこの言葉を「That’s one small step for a man, one giant leap for mankind」と言うつもりだったと語っています。しかし実際に世界に放送されたのは「That’s one small step for man, one giant leap for mankind」でした。この「a」の一文字の違いは、意味を根本的に変えてしまいました。

「for a man」であれば「一人の男性にとって」という個人的な意味になり、個人と人類全体を対比する構造になります。しかし「for man」では「人間にとって」という意味になり、論理的には「人間にとって小さな一歩だが、人類にとって大きな飛躍」という矛盾した表現になってしまうのです。アームストロング自身は生涯にわたってこの点を気にしており、2006年には音声分析の専門家に依頼して、かすかに「a」の音が録音されていることを証明しようとしたほどでした。

しかし皮肉なことに、この文法的な「ミス」こそが、より普遍的で詩的な響きを生み出したのかもしれません。個人を超越した人類全体の偉業として、より強く人々の心に刻まれる結果となったのです。

また、月面での作業中にオルドリン飛行士が発した「壮大な荒涼」という言葉も印象的でした。月面の風景を「magnificent desolation」と表現したこの言葉は、人類が初めて目にした地球外の景色の美しさと同時に、その圧倒的な孤独感を見事に捉えていました。さらに、地球への帰還後、アームストロング船長は「月の石を持ち帰ったが、最も貴重な収穫は地球の美しさを宇宙から見ることができたことだ」と語っており、この体験が後の環境保護意識の高まりにも影響を与えたのです。

天文学的な予算の真実

では、この人類の偉業にはいったいどれほどの費用がかかったのでしょうか。アポロ計画全体の予算は、当時の価格で約250億ドル、現在の価値に換算すると実に1,500億ドルを超える巨額でした。これは1960年代のアメリカの国家予算の約4%に相当し、当時のアメリカの国民一人当たりに換算すると約1,200ドルもの負担となっていました。この金額は、当時建設中だったパナマ運河の建設費用の約3倍にもあたる規模でした。

より具体的に見ると、サターンV型ロケット1機の製造費用だけで約1億8,500万ドル(現在価値で約12億ドル)、月着陸船の開発費用は約23億ドル(現在価値で約150億ドル)でした。また、アポロ宇宙服1着の製造費用は約50万ドル(現在価値で約300万ドル)という途方もない金額でした。この宇宙服は、月面の極端な温度変化(昼間120度、夜間マイナス170度)と真空環境から飛行士を守るために、21層もの特殊素材で作られていたのです。

月面着陸に成功した後、ニクソン大統領は「これは人類史上最も高価な電話代だ」と冗談めかして語ったという逸話があります。確かに、月面からの中継は技術的には「長距離通話」だったわけですが、その「通話料」は前例のない規模でした。実際に、月面からの映像を地球に送信するための通信システムだけで約5億ドルの費用がかかっていたのです。

また、アポロ計画には最盛期で約40万人もの人々が関わり、アメリカ全土の約2万社の企業が参加していました。NASAの職員だけでも約3万6千人、さらに関連企業の従業員を合わせると、当時のアメリカの労働人口の約1.5%がこのプロジェクトに携わっていたことになります。これほどの人的・物的資源を投入したプロジェクトは、第二次世界大戦のマンハッタン計画以来のことでした。

さらに興味深いのは、このプロジェクトが生み出した技術的な副産物の価値です。集積回路(IC)、コンピューター技術、新素材、食品保存技術、医療機器など、1,800以上の技術がアポロ計画から民間に移転され、その経済効果は投資額の7倍にも達したと推計されています。

批判の声と社会の反応

しかし、これほどの巨額投資に対して、当然のことながら批判的な声も少なくありませんでした。1960年代後半のアメリカは、ベトナム戦争の泥沼化、公民権運動の激化、都市部での暴動など、深刻な社会問題を抱えていました。多くの国民が「なぜ月に行くお金があるのに、地上の貧困や不平等は解決されないのか」と疑問を呈したのです。

この疑問は決して的外れではありませんでした。1968年には、アメリカ国内で2,500万人以上が貧困ライン以下の生活を送っており、都市部のスラム街では基本的な医療サービスさえ受けられない状況が続いていました。さらに、アフリカ系アメリカ人の失業率は白人の約2倍に達し、教育格差も深刻な問題となっていたのです。

この時代背景から、アフリカ系アメリカ人のソウル歌手ギル・スコット=ヘロンによる「Whitey on the Moon(白人が月にいる間に)」という楽曲が1970年に発表されました。この曲は、白人が月面を歩いている間に、アフリカ系アメリカ人は地上で医療費や家賃に苦しんでいるという社会の矛盾を痛烈に歌ったものでした。「白人が月にいる間に、私の妹は虫歯で苦しんでいる。白人が月にいる間に、私たちは食べ物を買うお金がない」という歌詞は、宇宙開発の光と影を如実に表現していました。

さらに、著名な社会運動家ラルフ・バンチ(国連平和調停官でノーベル平和賞受賞者)は、「月への旅行は素晴らしい科学的偉業だが、地球上の人種差別や貧困の解決こそが真の偉業だ」と述べて、優先順位への疑問を投げかけました。

世論調査でも、月面着陸直前の1969年7月の時点で、アメリカ国民の約53%がアポロ計画への予算投入に反対していました。ギャラップ社の調査によると、「アポロ計画の予算を貧困対策に回すべきだ」と答えた人は60%を超えていたのです。アポロ11号成功直後こそ国民の支持率は一時的に上昇しましたが、その後再び低下し、続くアポロ計画への予算は大幅に削減されました。

実際に、当初計画されていたアポロ18号から20号までの3回の月面着陸計画は1970年に中止となり、アポロ17号(1972年)を最後に人類は月面から遠ざかることになりました。これは、巨額の費用に対する国民の疲弊感と、ソ連との宇宙開発競争という政治的動機が薄れたことが大きな要因でした。皮肉なことに、「宇宙開発競争に勝利した」ことで、アメリカ国民の宇宙への関心は急速に冷めてしまったのです。

不可能を可能にする科学の力

それでも、この巨額の投資には計り知れない意義があったのです。アポロ計画が果たした最大の功績は、それまで人類が抱いていた「不可能」という概念を根本的に覆したことにあります。月面着陸以前、多くの人々にとって宇宙への有人飛行は純粋な空想の産物でした。ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』やH・G・ウェルズの『月世界最初の人間』といった小説の世界の出来事に過ぎなかったのです。しかし、アポロ11号の成功により、人類は空想を現実的な課題へと昇華させることができることを証明しました。

科学とは、まさにイノベーションの起爆剤です。人類の歴史を振り返れば、常に未知と不可能という概念を理性と知性によって破壊し、文明の進歩を促進してきたのは科学の力でした。火の使用から始まり、車輪の発明、印刷技術、蒸気機関、電気、そして情報技術に至るまで、一見無謀に思える挑戦から生まれた技術革新が、人類社会を根本的に変革してきました。

ガリレオが「それでも地球は回っている」と言ったとき、多くの人々は彼を狂人扱いしました。ライト兄弟が「人間は空を飛べる」と主張したとき、ニューヨーク・タイムズは「人間が飛行機で飛ぶには100万年かかるだろう」と報じました。しかし、これらの「不可能」は全て科学の力によって「可能」に変わったのです。

アポロ計画から生まれた技術は、その後の社会に計り知れない恩恵をもたらしました。集積回路(IC)の小型化技術は現在のスマートフォンの基礎となり、宇宙食の開発技術は現在のレトルト食品や冷凍食品の技術につながりました。また、月面での作業に使用された工具の軽量化技術は医療機器の発達に応用され、宇宙服の素材技術は消防士の防護服や自動車のエアバッグに活用されています。

さらに、アポロ計画が生み出した最も重要な遺産の一つは、宇宙から撮影された地球の写真「アースライズ」と「ブルー・マーブル」です。これらの画像は、地球が宇宙に浮かぶ唯一の生命の惑星であることを人々に実感させ、環境保護運動の象徴的な存在となりました。1970年のアースデイ(地球の日)の開催も、この宇宙からの地球の視点に大きく影響を受けていたのです。

携帯電話もインターネットも、GPSシステムも、その原点をたどれば宇宙開発技術に行き着きます。NASAが開発したARPANET(インターネットの前身)は、複数の研究機関を結ぶ通信網として始まりました。現在私たちが当たり前に使っているこれらの技術は、全て「月に行く」という一見無謀な挑戦から生まれた副産物だったのです。

未来への希望を託して

現在、私たちは地球温暖化、エネルギー問題、高齢化社会、新たな感染症など、数多くの課題に直面しています。これらの問題の解決策も、一見無駄に思えるような人類の挑戦から生まれるかもしれません。火星探査、核融合技術、人工知能、量子コンピューター、遺伝子工学など、今日の「無謀な挑戦」が明日の「当たり前の技術」となる可能性は十分にあります。

1969年7月20日のあの瞬間を思い出してください。暗闇の宇宙に浮かぶ月面で、地球から38万キロメートルも離れた場所で、人類が初めて他の天体に足を踏み入れた瞬間を。あの時、人類は自分たちの可能性を信じ、不可能と思われていた夢を現実にしました。

科学への投資は、単なる経済的な計算を超えた、人類の未来への投資なのです。今日の私たちが直面する課題も、科学と挑戦の精神があれば必ず解決できると信じて、新たな「不可能」への挑戦を続けていきたいものです。月面着陸から56年が過ぎた今、私たちは次の「大きな飛躍」に向けて、再び歩み始める時なのかもしれません。

【編集部後記】

科学は誰のために?
ー私たちはなぜ科学を報じるのかー

innovaTopiaは「サイエンスメディア」ではなく「テックメディア」です。日本において科学と技術は混同されがちな概念ですが、これは日本が近代に推し進めた急速な近代化の過程で、技術のために科学を研究してきた歴史的背景があることを、科学論の研究が指摘しています。

しかし、科学と技術は本来まったく異なる営みです。科学は自然の真理を探究し、合理的な言葉で世界を説明しようとする純粋な知的活動であり、一方の技術は人間社会との関わりを重視し、自然の摂理を活用して人類全体の生活の質を向上させることを目指す実践的な活動です。この二つの領域は、本質的には距離のあるものなのです。

ただ、科学は新しい人類の生き方や生活の展望を見せてくれたり、技術的な発展からは及びもつかないような先人の見つけた真理が時に世界を新しい形で発展させてくれることもあります。科学と技術は異なる道を歩みながらも、時として思わぬ形で結びつき、私たちの未来を照らしてくれるのです。

私たちは月面着陸の成功を目の当たりにすると、宇宙で暮らす未来を夢見るように、常に未来の人間の姿を想像し、未来の世界の可能性に触れています。そして気づくのです——私たちは過去の先人から受け取った、何の役に立つのかもわからない科学という贈り物を、今、技術として受け取っているのだということを。

https://deep-space.jp

そういえば、日本科学未来館で「深宇宙展」が現在開かれており、実際の宇宙服や天文台の模型やスペースシャトルの模型が展示されているらしいです。かなーり大きな展覧なので是非皆様ご覧になってください。(筆者も時間があれば行く予定です。)

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野村貴之
理学と哲学が好きです。昔は研究とかしてました。

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