7月22日【今日は何の日?】「著作権制度の日」作品と作者の権利について考える日

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「著作権制度の日」とは?

毎年7月22日は「著作権制度の日」。これは、1899年(明治32年)のこの日に、日本の文化と創作活動を保護する礎となった旧「著作権法」が公布されたことを記念する日です。

記念日の由来と定着の背景

この「著作権制度の日」ですが、実は「〇〇年に制定された公式な記念日」というわけではありません。特定の法律や団体によって定められたものではなく、日本の著作権の歴史における最も象徴的な日付として、いわば慣習的に定着した記念日です。

その正確な起源を特定することは困難ですが、一般的に2000年代以降、著作権への社会的な関心が高まるにつれて広く認識されるようになったと考えられます。

背景には、以下のような社会の変化があります。

インターネットの爆発的な普及:音楽や映像の違法なファイル共有が社会問題となり、一般ユーザーも「著作権侵害」という言葉を身近に感じるようになりました。

デジタル技術の進化:CDやDVDからデジタル配信へ移行し、コンテンツの複製が容易になる中で、クリエイターの権利をどう守るかが大きな課題となりました。

関連団体による啓発活動:こうした状況を受け、文化庁や著作権情報センター(CRIC)といった関連団体が、著作権思想の普及・啓発活動を強化しました。その中で、歴史的な意味を持つ7月22日を、著作権について考える象徴的な日として用いる機会が増えていったと推測されます。

つまり、「著作権制度の日」は、誰かが定めたというよりも、著作権が私たちの生活に深く関わる社会的なテーマとなる中で、その重要性を再認識するための”よりどころ”として、自然発生的に広まっていった記念日と言えるでしょう。

近代国家を目指す明治政府が、国際社会の一員となるために法の整備を進めた、その象徴的な一日。それが今、デジタル社会に生きる私たちの課題を考える日として、新たな意味を持っているのです。

現代における著作権とは? – なぜ必要なのか

「著作権」と聞くと、「クリエイターを守るための難しいルール」と感じるかもしれません。しかし、その根本的な目的は、著作権法第一条に記されている通り「文化の発展に寄与すること」にあります。

この目的を達成するために、法律は「何が保護されるのか(著作物)」と「どのような権利で保護されるのか(著作権)」を具体的に定めています。

「著作物」とは何か?

まず、法律で保護される対象である「著作物」とは何でしょうか。著作権法は、次のように定義しています。

著作権法 第二条第一項第一号
著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

これを分解すると、著作物と認められるには以下の4つの要素が全て必要になります。

  1. 「思想又は感情」であること
    単なる事実やデータ(例:東京の人口、歴史の年号)ではなく、作り手の考えや気持ちが含まれている必要があります。
  2. 「創作的に」表現されていること
    他人の完全な模倣ではなく、作り手の何らかの個性や工夫が表れている必要があります。ただし、プロのような高い芸術性は求められません。誰が書いても同じになるような、ありふれた表現(例:「おはようございます」という挨拶)は「創作的」とは言えません。
  3. 「表現したもの」であること
    頭の中にあるアイデアそのものではなく、文章、音楽、絵、彫刻、プログラムコードといった具体的な形で外に表現されている必要があります。例えば「タイムスリップする高校生の恋愛物語」というアイデアだけでは著作物にならず、それを元に書かれた小説の具体的な文章が著作物となります。
  4. 「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」であること
    工業製品などではなく、文化的な創作活動の所産であることを意味します。小説、音楽、絵画、映画、写真、コンピュータ・プログラムなどがこれにあたります。

私たちが普段楽しんでいるコンテンツのほとんどは、この定義にあてはまる「著作物」なのです。

「著作権」とは何か? – 権利の束

次に、著作物に対して発生する「著作権」ですが、これは単一の権利ではありません。様々な権利が集まった「権利の束(たば)」と表現されます。そして、この権利は大きく2つのグループに分けられます。

1. 著作者人格権(著作者の人格や名誉を守る権利) これは著作者本人だけが持つことのできる、譲渡や相続が不可能な権利です。

  • 公表権:まだ公表していない作品を、いつ、どのような形で公表するかを決める権利。
  • 氏名表示権:作品に自分の名前を表示するか、ペンネームにするか、あるいは無名にするかを決める権利。
  • 同一性保持権:作品の内容やタイトルを、自分の意に反して勝手に変えられない権利。

2. 著作権(財産権)(著作物の利用から利益を得る権利) こちらは財産として、他人に譲渡したり相続したりすることが可能です。利用方法に応じて、以下のような多くの権利が含まれています。

  • 複製権:作品をコピーする(印刷、録音、録画、スキャンなど)権利。
  • 上演権・演奏権:作品を公の場で上演したり、演奏したりする権利。
  • 公衆送信権:テレビやラジオでの放送、インターネットで配信する権利。
  • 譲渡権:作品のオリジナルや複製物を販売・貸与する権利。
  • 翻案権:元の作品を元に、新しい作品(二次的著作物)を作る権利。(例:小説の映画化、楽曲の編曲、キャラクターのグッズ化など)

このように、創作者は手厚い権利によって守られています。だからこそ安心して次の創作活動に励むことができ、その結果として新たな「文化の発展」につながっていくのです。

「copyright」と「版権」- 世界的な歴史の始まり

著作権の歴史を紐解くことは、15世紀の活版印刷技術の発明以降、社会が「複製される情報(出版物)」とどう向き合ってきたかの歴史そのものです。誰が、何を目的として、その権利を主張してきたのか。その変遷を見ていきましょう。

始まりは「統制と独占」- 印刷業者の特権(Privilege)

活版印刷が登場した当初のヨーロッパでは、王権や教会にとって、出版物は両刃の剣でした。知識を広める便利な道具である一方、異端な思想や批判的な言論が拡散する危険なものでもあったのです。

そこで、国家や都市政府は出版統制と印刷業の保護を目的に、当初は個々の印刷業者や発明者に独占的な印刷権(Privilege)を与え、やがて業者の組合(ギルド)にも同様の特権を付与するようになりました。都市や時代により、“特権”と“ギルド支配”の態様や重なり方は多様です。

思想の統制:許可を与えた業者に出版を集中させることで、国家にとって不都合な内容の検閲を容易にする。

商業的利益の保護:特権を与えられた業者は、海賊版を心配することなく安心して出版ビジネスを行える。

この時代、出版物は「国家の管理下にある商品」であり、権利の主体はあくまで印刷・出版業者でした。著作者は創作の源ではあっても、作品が複製され流通する過程において、法的な権利を持つ存在とは見なされていなかったのです。

「著作者」の誕生 – 1710年イギリス「アン法」

状況が大きく変わるのが、1710年にイギリスで制定された、世界初の著作権法「アン法」です。この法律は、それまで永続的だった出版業者の独占に対抗し、まったく新しい目的を掲げました。それは「学問の奨励(encouragement of learning)」です。

そのために、権利の主体を初めて著作者(Author)であると定めました。これが「Copyright(コピーする権利)」の誕生です。

目的の変化:業者の利益独占や思想統制から、「著作者にインセンティブを与えて創作を促し、社会全体の知識と文化を発展させる」ことへ。

出版物の扱いの変化:単なる商品から、「著作者の知的な創造物(知的財産)」へ。著作者は自らの財産である作品の利用を、出版社に許諾する、という近代的な関係性の基礎が築かれました。

また、「アン法」は著作権の保護期間を「14年(+更新14年)」と有限にしたことも重要です。これは、一定期間が過ぎれば作品は社会全体の共有財産(パブリックドメイン)となり、誰もが自由に利用できるようにするためです。個人の権利と社会の利益のバランスを取る、という現代の著作権思想の原型がここにあります。

日本における「版元」の権利 – 江戸時代の「版権」

一方、江戸時代の日本でも独自の権利概念が生まれていました。それが「版権(はんけん)」です。これは、浮世絵や草双紙の版木を持つ版元(出版社)が、仲間(組合)内で複製を独占する権利でした。

目的:高価な版木への投資を回収し、過当競争を防ぐという、純粋に商業的な利益の保護

出版物の扱いの変化:出版物は「版元の商売道具(版木)から生まれる商品」。戯作者(著作者)の立場は弱く、原稿は買い切りがほとんど。作品に対する権利は版元にあり、著作者の人格や思想を守るという発想は希薄でした。

これは「アン法」以前のヨーロッパにおける業者の特権に近い考え方でした。

国際標準へ – 「版権」から「著作権」への転換

明治時代に入り、福沢諭吉が「Copyright」を「版権」と訳したことでこの言葉は広く使われますが、その内実は、国家的な目標のもとで劇的な転換を遂げることになります。

明治政府の最大の目的は不平等条約の改正であり、そのためには欧米列強が加盟する国際的な知財保護の枠組み「ベルヌ条約」に加盟することが不可欠でした。この条約は、「アン法」の思想をさらに発展させ、著作者の人格的な権利まで保護する、強い著作者権を基本理念としています。

この国際社会への参加という大きなうねりの中で、日本の権利概念は根底から変化しました。

目的の変化 :第一に、不平等条約改正を達成するための国際社会への適応という政治目的。そして第二に、国際基準の保護を与えることで著作者の創作意欲を促し、文化の近代化と国家の発展に寄与させるという文化的・経済的目的へ。

出版物の扱いの変化: 「著作者の人格と結びついた、法的に保護されるべき文化的創造物」へ。

1899年に制定された日本の旧「著作権法」は、江戸時代の「版権」とは似て非なる、国際標準の「著作者の権利(Copyright)」でした。これにより、著作者が自らの作品の複製、翻訳、上演などをコントロールする権利が法的に確立され、人格の尊重と経済的利益の両面から、その地位は大きく向上したのです。

生成AIと著作権 – Q&Aで学ぶ、法的課題の最前線

生成AIと著作権、よくある誤解 Q&A

Q1. AIが作ったものは、全部「著作権フリー」で自由に使っていいんですよね?

A1.【半分正解で、半分は大きな誤解です】

AIが人間の指示なく自律的に生成し、そこに人間の創作的な工夫がなければ、現行法上「著作物」とは認められず、著作権は発生しません。この点では「著作権フリー」と言えます。

しかし、人間がAIを「道具」として使い、プロンプト(指示)の工夫、生成物の選択・修正・加工などに創作的な意図と工夫(=創作的寄与)があれば、その人間に著作権が発生する可能性があります。この場合、もちろん著作権フリーではありません。どこからが「創作的寄与」と認められるかは、今後の判例の蓄積が待たれる点です。

Q2. 「たまたま著作物に似てしまっただけ」なのですが、これも侵害ですか?

A2.【ケースによりますが、極めて重要な論点です】

著作権侵害が成立するには、①作品が似ていること(類似性)に加え、②元の作品をもとに創作したこと(依拠性)の両方が必要です。「たまたま似た」というのは、この「依拠性」がなかった、という主張になります。しかしAI時代において、この「依拠性」の判断は非常に複雑になっています。

考えられるパターンを分けてみましょう。

(A) 利用者が元作品を知らなかった(B) 利用者が元作品を知っていた
(C) AIが元作品を学習済み【最も議論の的】
利用者に意図がなくても、AIを介して間接的に依拠したと見なされるリスクが指摘されています。裁判例がなく結論は出ていませんが、「知らなかった」では済まない可能性があります。
【侵害の可能性が高い】
利用者の意図とAIの学習の両面から、依拠性が強く推認されます。典型的な侵害パターンに陥りやすいケースです。
(D) AIが元作品を未学習【侵害の可能性は極めて低い】
誰も元作品にアクセスしていない状況で偶然似た「独立創作」と判断され、依拠性は否定される可能性が非常に高いです。
【侵害の可能性あり】
AIは学習していなくても、利用者が記憶などを頼りに、AIを「高機能な筆」として使って似るように指示・修正した場合、利用者の依拠性が認められる可能性があります。

結論として、AIを利用する場合、利用者の主観的な意図だけでなく、AIが何を学習したかという客観的なプロセスも、「依拠性」の判断に影響を与える可能性がある、という新しいリスクが生まれています。

Q3. 有名な画家の「画風」を真似させたAIイラストを公開するのは、著作権侵害ですか?

A3.【著作権侵害にはなりにくいですが、別の法的問題が生じる可能性があります】

まず、絵のタッチや色使いといった「画風(作風)」はアイデアとされ、それ自体は著作権の保護対象ではありません。したがって、画風を模倣しただけでは、著作権侵害にはなりにくいのが原則です。

しかし、問題は別のところにあります。

  • 作家のイメージを損なう利用をした場合
    元の作家の社会的評価を下げるような、公序良俗に反する内容や侮辱的な文脈で「〇〇風」の作品を公開した場合、著作権とは別に、作家個人への名誉毀損として、刑事罰や民事上の損害賠償の対象となる可能性があります。また、元の作品の価値や評価を著しく損なうような利用は、著作者人格権(同一性保持権)の侵害に関連する問題を引き起こすこともありえます。
  • 「〇〇風!」と明示してビジネスに利用した場合
    あたかもその作家が関わっているかのように「〇〇先生風イラスト!」と宣伝して商品を販売すると、消費者に誤解を与えるため、不正競争防止法(著名表示冒用行為)や景品表示法に違反する可能性があります。これは、作家が長年かけて築き上げたブランドイメージや顧客吸引力(パブリシティ権)に「タダ乗り」する行為と見なされるリスクがあるためです。

また、これらの問題はAIに限ったことではありません。たとえ1から人の手で作り上げたとしても、他者の権利を侵害する、または他の法律に反することになる可能性があることは念頭に置いておきましょう。

【深掘りコラム】AI利用の法的・倫理的フロンティア

AIと著作権の問題は、個別の法律だけでなく、より広い倫理観や国際的な潮流の中で考える必要があります。

1. 「グレーな学習」をされたAIモデルを使うことの是非

AIモデルの中には、その開発初期段階において、無断転載サイトからのスクレイピング(大量収集)など、法的にあるいは倫理的にグレーな手法で学習データを集めたとされるものもあります。では、そうしたAIを「利用」することに問題はないのでしょうか。

法的な側面:現在の日本の法律では、AIの利用者が、そのAIの開発過程における過去の違法性まで直接問われる可能性は低いと考えられます。

倫理的・ビジネス的側面:しかし、問題は法律だけではありません。出自が不透明なAIを事業で利用することは、違法なデータ収集を間接的に容認・助長することにつながりかねません。これは企業のコンプライアンスやESG(環境・社会・ガバナンス)の観点から重大なレピュテーションリスク(評判を損なう危険性)となります。特にクリエイターとの協業を考える上で、その創作活動の源泉である著作権を軽視したと見なされるAIの利用は、致命的な問題を引き起こす可能性があります。

2. 国際的なルールとの向き合い方(EUのAI規制など)

EUでは、プライバシーや人権保護の観点から、日本より厳格なAI規制(AI法)の導入が進んでいます。例えば、EUでは禁止されているような手法で作られたAIモデルが、日本の法律では利用可能、というケースも起こりえます。

法的な側面:日本国内での活動は、原則として日本の法律が適用されます。そのため、EUの規制に反していても、日本の法律に違反していなければ、直ちに日本で違法となるわけではありません。

倫理的・ビジネス的側面:しかし、グローバルにビジネスを展開する企業にとって、「自国の法律さえ守れば良い」という姿勢は通用しません。なぜEUが厳しい規制を課しているのか(人権への配慮など)を理解し、国際的なスタンダードを意識することが不可欠です。厳しい規制下にあるモデルの利用を避けることは、将来的な法改正のリスクや、国際社会からの批判を避けるための賢明なリスク管理と言えるでしょう。

AIという革新的な技術と向き合うには、法律の条文を文字通り読むだけでなく、その背景にある社会倫理や国際的な潮流を理解し、自らの活動がクリエイターや社会全体にどのような影響を与えるかを常に問い続ける姿勢が求められています。

最後に – 私たちの身近にある著作権と未来への責任

この記事では、著作権の歴史から生成AIがもたらす最新の課題までを駆け足で見てきました。最後に、これからの時代を生きる私たちが、この複雑な問題とどう向き合っていくべきかを考えてみたいと思います。

あなたの日常に、著作権は息づいている

まず忘れてはならないのは、著作権は専門家や一部のクリエイターだけのものではなく、あなたの日常に深く根差しているということです。

日本の著作権法は、創作物が生まれた瞬間に、申請や登録なしで自動的に権利が発生する「無方式主義」を採用しています。あなたがSNSに投稿した一枚の写真、ふと書き留めた文章、友人に送った手描きのイラスト。そのすべてに、あなた自身の著作権が宿っています。

それはつまり、私たちは誰もが「権利を持つ者」であると同時に、知らないうちに「他人の権利を侵害してしまう加害者」にもなりうる、ということです。インターネットで見た画像を安易にコピーして使えば、それはもう著作権侵害の入り口に立っているのかもしれません。

問題は「著作権法」の外にも広がっている

そして、AI時代のリスク管理は、「著作権法に違反するかどうか」という一点だけで考えることはできません。これまでの章で見てきたように、問題はより広く、深くなっています。

  • 日本の他の法律:実在の人物のディープフェイクを作れば名誉毀損罪(刑法)や肖像権侵害(民法)に問われます。他者のブランドを騙れば不正競争防止法の問題も生じます。
  • 他国の法律:グローバルに情報を発信したり、ビジネスをしたりするなら、EUのAI法のような海外の厳しい規制も無視できません。
  • 倫理的な問題:出自の不透明なAIを使うことは、違法なデータ収集を間接的に助長し、クリエイター・エコシステム全体を傷つけることにつながるかもしれません。それは、企業の社会的責任(CSR)やコンプライアンスに関わる重大な問題です。

これらの多面的なリスクを理解することこそ、「正しい認識」を持つための第一歩なのです。

「正しさ」を胸に、前へ進むために

では、私たちはどうすればいいのでしょうか。答えは、思考停止に陥らず、学び、考え、責任ある行動を続けることに尽きます。

  • 正しく創作すること:他者の作品へのリスペクトを忘れないこと。インスピレーションと安易な模倣は違います。新しいものを生み出す苦しみと喜びを知るからこそ、他者の創作にも敬意を払えるはずです。
  • 正しくAIを使うこと:AIを魔法の箱ではなく、その仕組みやリスクを理解した上で、責任をもって使いこなす「道具」と捉えること。生成ボタンを押すのはAIでも、その結果に対する最終的な責任は、指示をしたあなた自身にあるという意識が不可欠です。

過度な規制が奪うかもしれない未来

日本の「AI推進法」が示すように、我が国の基本方針は、リスクから目を背けてすべてを禁止するのではなく、リスクを管理しながら技術の発展を促す「イノベーションの促進と利用のバランス」にあります。

もし、私たちがリスクを恐れるあまり、過度に厳しい規制を課したとしたら、どのような未来が訪れるでしょうか。

そこでは、クリエイターは失敗を恐れて新しい表現への挑戦をためらい、文化は少しずつ活力を失っていくかもしれません。日本のAI開発は世界から遅れ、私たちは気づけば、海外の巨大IT企業が作ったAIやプラットフォームの上でしか、創作もビジネスもできなくなっているかもしれません。それは、日本の文化的な多様性や経済的な自立性が、少しずつ失われていく未来とも言えます。

技術の進化を完全に止めることはできません。大切なのは、思考停止で禁止したり、無批判に受け入れたりするのではなく、技術と共存し、創作者を尊重し、社会全体で公正なルールを議論し続けていくことです。

7月22日の「著作権制度の日」。その根源的な目的である「文化の発展」とは、まさにその不断の努力の先にあるのではないでしょうか。複雑で、しかし極めて重要な問題について、私たち一人ひとりが考えるきっかけとなることを願います。

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りょうとく
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