カーネギーメロン大学のBin He教授らの研究チームが2025年6月30日、非侵襲的脳波(EEG)ベースのブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)を用いて個別の指の動きを思考だけでリアルタイム制御する技術を発表した。
研究結果は学術誌Nature Communicationsに掲載された。被験者は思考だけで2本指と3本指の制御タスクを成功裏に実行することができた。この技術は深層学習デコーディング戦略とネットワーク微調整メカニズムを活用し、運動実行と運動イメージの両方から脳信号を解読する。
従来の侵襲的BCIと異なり手術が不要で、世界の10億人以上の障害者への応用が期待される。研究は米国立神経疾患・脳卒中研究所と米国立衛生研究所のBRAINイニシアチブの支援を受けた。共同研究者にはYidan Ding博士課程学生、Chalisa Udompanyawit修士課程学生、Yisha Zhang研究室技術者が参加した。
From: BCI robotic hand control reaches new finger-level milestone
【編集部解説】
今回のカーネギーメロン大学の研究は、BCI(Brain-Computer Interface)技術の歴史において重要な転換点を示しています。これまで非侵襲的なEEGベースのBCIでは、大まかな動作の制御は可能でしたが、個別の指の動きを精密に制御することは技術的に困難とされてきました。
EEGの空間分解能の限界が最大の課題でした。頭皮上から測定する脳波は、脳内の電気活動を間接的に捉えるため、個別の指に対応する微細な神経活動を区別することが極めて困難だったのです。今回の研究では、深層学習アルゴリズムとネットワーク微調整メカニズムを組み合わせることで、この技術的壁を突破しました。
この技術革新が持つ意味は、単なる精度向上にとどまりません。従来の侵襲的BCIは手術リスクや継続的なメンテナンスが必要で、世界でわずか50人程度しか使用していない状況でした。一方、非侵襲的アプローチは理論上、世界の10億人以上の障害者に適用可能な技術となります。
Bin He教授は20年以上にわたってBCI研究の第一人者として活動しており、これまでにドローンの思考制御飛行、ロボットアームの制御、ロボットハンドの連続動作制御など数々の世界初の成果を達成してきました。今回の研究は、これらの積み重ねの上に成り立つ画期的な進歩です。
実用化への道筋も明確になってきています。研究チームは次のステップとしてタイピング作業の実現を目指しており、これが達成されれば、コンピューター操作やコミュニケーション支援の分野で革命的な変化をもたらすでしょう。
ただし、現在の技術には改善の余地があります。被験者全員がBCI経験者であり、一般ユーザーでの性能検証が今後の課題となります。また、長時間使用時の安定性や個人差への対応も重要な検討事項です。
この技術の社会実装には規制面での整備も重要です。中国では2025年にBCI技術の大規模臨床試験が開始され、北京市は2030年までにBCI分野で3-5社のグローバルリーダー企業育成を目指す行動計画を発表しています。日本でも医療機器としての承認プロセスや安全基準の策定が急務となるでしょう。
長期的な視点では、この技術は障害者支援を超えた応用可能性を秘めています。健常者の能力拡張、VR/AR環境での直感的操作、さらには人間とAIの新たなインターフェースとしての活用も期待されます。
一方で、プライバシーや脳情報の保護、技術格差の拡大といった倫理的課題も浮上します。脳活動データの取り扱いや、技術へのアクセス格差が新たな社会問題となる可能性があります。
2025年はBCI技術の転換点となる年として位置づけられており、今回の研究成果は非侵襲的BCIの実用化に向けた重要なマイルストーンとなるでしょう。技術の進歩と社会的受容性のバランスを取りながら、人間の可能性を拡張する新時代の扉が開かれようとしています。
【用語解説】
BCI(Brain-Computer Interface)
脳とコンピューターを直接接続する技術。脳の神経信号を読み取り、外部機器を制御する。侵襲的(手術が必要)と非侵襲的(手術不要)の2種類がある。
EEG(Electroencephalography)
脳電図。頭皮に電極を装着して脳の電気活動を測定する非侵襲的な手法。空間分解能が低いという制約があるが、手術が不要で安全性が高い。
運動イメージ(Motor Imagery)
実際に体を動かすことなく、頭の中で動作を想像すること。BCIでは、この想像時の脳活動パターンを読み取って機器制御に活用する。
深層学習(Deep Learning)
人工知能の一分野で、多層のニューラルネットワークを用いた機械学習手法。複雑なパターン認識や予測に優れている。
空間分解能
測定技術がどれだけ細かい空間的な違いを識別できるかを示す指標。EEGは時間分解能は高いが、空間分解能が限られている。
【参考リンク】
カーネギーメロン大学 Bin He教授 研究室(外部)
Bin He教授が率いるBCI研究の詳細情報。ドローン飛行制御やロボットアーム制御など過去の研究成果も紹介。
カーネギーメロン大学 工学部(外部)
革新的で学際的な教育・研究に焦点を当てた工学部の公式サイト。科学的・実用的重要性を持つ問題解決に取り組む。
国立神経疾患・脳卒中研究所(NINDS)(外部)
脳卒中、パーキンソン病、多発性硬化症、自閉症などの神経疾患の原因、予防、診断、治療を研究する米国の政府機関。
NIH BRAINイニシアチブ(外部)
革新的な神経技術開発を通じて人間の脳の理解を革命的に進めることを目的とした米国の大規模研究プロジェクト。
Bin He教授 個人プロフィール(外部)
カーネギーメロン大学の生体医工学教授。神経工学と生体医用イメージングの分野で20年以上の研究実績を持つ。
【参考動画】
Bin He: Brain Computer Interface: Sending Neurological Signals to Control DevicesBin He教授がBCI研究について語る公式動画。工学、機械学習、神経科学の統合アプローチと、人々を支援する技術の可能性について解説。
【参考記事】
How EEG-based brain-computer interface could enable robotic control(外部)
Bin He教授の非侵襲的BCI技術の発展について医療機器業界の視点から解説。過去の研究成果から今回の指レベル制御まで包括的に紹介。
Breakthrough Approach Enables Bidirectional BCI Functionality(外部)
2024年6月に発表されたBin He教授の双方向BCI機能に関する研究。集束超音波刺激を統合した新しいアプローチについて詳述。
【編集部後記】
今回のBCI技術の進歩を知って、皆さんはどのような未来を想像されましたか?
もし明日から思考だけで指先を自由に動かせるようになったら、最初に何をしてみたいでしょうか。キーボードでの文字入力でしょうか、それとも楽器の演奏でしょうか。私たちは、この技術が単なる医療支援を超えて、人間の表現力や創造性を拡張する可能性に胸が躍ります。
一方で、脳の情報を読み取る技術には不安を感じる方もいらっしゃるかもしれません。プライバシーの問題や、技術格差への懸念など、率直なご意見をお聞かせください。
皆さんの日常生活の中で「もしこんな動作を思考だけでできたら便利なのに」と感じる場面があれば、ぜひコメントで教えてください。読者の皆さんの視点こそが、この技術の真の価値と課題を浮き彫りにしてくれると私たちは考えています。