CRISPR遺伝子編集:わずか6ヶ月で開発された治療法が希少疾患の赤ちゃんを救う

[更新]2025年5月20日17:40

CRISPR遺伝子編集:わずか6ヶ月で開発された治療法が希少疾患の赤ちゃんを救う - innovaTopia - (イノベトピア)

ペンシルバニア大学パールマン医学部とフィラデルフィア小児病院(CHOP)の研究チームは、希少な遺伝性疾患を持つ赤ちゃんに対して、わずか6ヶ月で開発したカスタマイズされた遺伝子編集治療を施し、症状を緩和することに成功したと発表した。この成果はニューイングランド医学ジャーナル(NEJM)に掲載され、アメリカ遺伝子・細胞治療学会の年次会議でも報告された。

治療を受けたのは「KJ」と呼ばれる男児で、100万人に1人の割合で発生するカルバモイルリン酸合成酵素1(CPS1)欠損症と診断されていた。この疾患は、肝臓の重要な酵素の遺伝子欠陥によって血中アンモニアが危険なレベルまで蓄積し、嗜眠、昏睡、脳損傷を引き起こす可能性がある。

研究チームは、KJの遺伝子変異に合わせたベースエディターと呼ばれるCRISPR遺伝子編集技術の一種を開発した。ベースエディターは、DNAの二本鎖のうち一方の鎖にのみ切れ目(ニック)を入れ、特定の酵素の働きによってDNAの塩基(A、T、C、G)の一つを別の塩基に直接変換することで、遺伝子配列上の特定の一塩基変異を修正する技術です。

2025年2月、生後約7ヶ月のKJに対し、編集ツールをコードするメッセンジャーRNAを運ぶ脂質ナノ粒子が血流に注入された。3回の投与後、KJはより多くのタンパク質を摂取できるようになり、血中アンモニアレベルをコントロールするための薬物量が減少した。また、2回のウイルス感染を経験したが、通常なら引き起こされるアンモニア危機は発生しなかった。

治療により一時的に肝酵素のレベルが上昇したが、すぐに正常に戻った。KJは完全に治癒したわけではなく、依然として特別な食事療法と薬物治療を必要としているが、危険な肝臓移植を避けられる可能性が高まった。KJはまもなく病院から退院する予定である。

この治療法は、オレゴン健康科学大学の医療遺伝学者キャリー・ハーディング氏が指摘するように、希少疾患治療のための多様なアプローチの一つである。別の尿素回路障害であるオルニチントランスカルバミラーゼ(OTC)に対しては、ウイルスを使用した遺伝子挿入戦略による治療も報告されている。

研究を主導したのは、ペンシルバニア大学の心臓病専門医キラン・ムスヌル氏と、ペン・メディシンおよびフィラデルフィア小児病院の医師科学者レベッカ・アーレンス=ニクラス氏である。彼らは、この成果が世界中の多くの研究者に採用されることを期待している。

References:
文献リンクGene-editing therapy made in just 6 months helps baby with life-threatening disease

文献リンクDOI: 10.1056/NEJMoa2504747

【編集部解説】

今回のニュースは、医療技術の進歩と個別化医療の未来を示す画期的な事例です。複数の信頼できる情報源を確認したところ、この治療は確かに世界初のパーソナライズされたCRISPR遺伝子編集治療として実施されました。

まず、この治療法の革新性について解説します。従来の遺伝子治療は「一つの治療法で多くの患者を治療する」アプローチが主流でした。しかし今回のケースでは、KJちゃんの特定の遺伝子変異に合わせてカスタマイズされた治療法が開発されました。これはまさに「N=1」の医療、つまり一人のための医療の実現を意味しています。

CPS1欠損症は100万人に1人という超希少疾患であり、通常の医薬品開発では経済的に見合わないケースです。しかし、このアプローチが示したのは、希少疾患であっても迅速に治療法を開発できる可能性です。わずか6ヶ月という短期間で治療法を開発し、FDAの承認を得て投与まで至ったことは特筆すべき点でしょう。

この治療で使用されたのは「ベースエディター」と呼ばれる技術です。従来のCRISPRがDNAを切断するのに対し、ベースエディターはDNAの一本鎖だけを切断し、特定の塩基(DNAの「文字」)を別の塩基に置き換えます。これにより、KJちゃんの「遺伝子の配列上の変異」を修正することができました。

重要なのは、この治療がKJちゃんを完全に治癒させたわけではないという点です。彼は依然として特別な食事と薬物治療を必要としていますが、症状は改善し、肝臓移植の必要性が低下した可能性があります。これは「部分的成功」と見るべきでしょう。

この治療法の開発には、ペンシルバニア大学、フィラデルフィア小児病院、カリフォルニア大学バークレー校のイノベーティブ・ゲノミクス研究所、ダナハー社など、多くの機関が協力しました。また、米国国立衛生研究所(NIH)の支援も受けています。このような産学官連携モデルは、今後の希少疾患治療開発の雛形となる可能性があります。

倫理的な側面も見逃せません。生後間もない乳児に実験的治療を行うことには慎重な判断が求められます。報道によれば、研究チームは適切な安全対策を講じ、両親に肝臓移植などの代替オプションも提示したようです。しかし、こうした「N=1」の治療法が広まるにつれ、より厳格な倫理的ガイドラインが必要になるでしょう。

コスト面も重要な論点です。ムスヌル博士によれば、この治療法の開発コストは「思ったほど高くない」とのことですが、具体的な数字は明らかにされていません。通常の医薬品開発と比べて大幅に低コストだったとしても、一人のために開発する治療法の経済的持続可能性は今後の課題となるでしょう。

この技術の将来性は計り知れません。世界には約3億5000万人の希少疾患患者がいると言われており、その多くが遺伝的原因を持っています。今回のアプローチが洗練され、より迅速かつ低コストになれば、これまで「治療法がない」とされてきた多くの疾患に光が当たる可能性があります。

一方で、この技術の普及には課題もあります。医療格差の拡大リスクです。高度にパーソナライズされた治療法は、先進国の一部の患者にしかアクセスできない可能性があります。また、遺伝子編集の長期的な安全性については、まだ十分なデータがありません。

日本においても、この技術の導入と規制のバランスが今後の課題となるでしょう。日本は希少疾患研究に力を入れていますが、パーソナライズド医療の規制枠組みはまだ発展途上です。

【用語解説】

CRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)
DNAを特定の位置で切断できる遺伝子編集技術。細菌が持つ免疫システムを応用したもので、ガイドRNAとCas9酵素の組み合わせにより、ゲノム上の特定部位を狙って切断できる。

ベースエディター
CRISPR-Cas9の変形版で、DNAを完全に切断せず、特定の塩基(DNAの「文字」)を別の塩基に直接置換する技術。DNAの二本鎖のうち一本だけを切断し、特定の塩基を交換する。

CPS1欠損症
カルバモイルリン酸合成酵素1の欠損による希少疾患。この酵素は肝臓で尿素回路の第一段階を担い、体内のアンモニアを無毒化する役割がある。欠損すると血中アンモニアが蓄積し、脳障害などを引き起こす。

尿素回路
体内で代謝されたタンパク質から発生するアンモニアなどの余分な窒素化合物を無毒化し、尿素として体外に排泄するプロセス。このサイクルにより、血中のアンモニア濃度が安全なレベルに保たれる。

脂質ナノ粒子
薬剤や遺伝子を細胞内に届けるための微小な脂肪の球体。今回の治療では、遺伝子編集ツールを運ぶ「乗り物」として使用された。

N=1医療
一人の患者のためにカスタマイズされた治療法を開発するアプローチ。従来の「多くの患者に同じ治療を行う」医療とは対照的な概念。

【参考リンク】

ペンシルバニア大学医学部(Perelman School of Medicine)(外部)
アメリカ最古の医学部で、今回の遺伝子治療研究を主導した機関。

フィラデルフィア小児病院(CHOP)(外部)
アメリカ初の小児病院で、今回の治療が実施された医療機関。

米国遺伝子・細胞治療学会(ASGCT)(外部)
遺伝子・細胞治療の研究と臨床応用を推進する学術団体。今回の研究が発表された会議の主催者。

日本医療研究開発機構(AMED)(外部)
日本の医療研究開発を支援する機関。希少疾患研究プログラムも実施している。

【参考動画】

【編集部後記】

皆さんは「N=1の医療」という言葉を聞いたことはありますか?今回紹介した遺伝子編集治療は、たった一人の患者さんのために開発されたものです。これは医療の未来の姿かもしれません。あなた自身やご家族が希少疾患と診断されたら、どのような治療法を望みますか?また、こうした高度にパーソナライズされた医療が普及する社会で、医療へのアクセスや費用負担はどうあるべきでしょうか?医療技術の進歩と社会的な課題、両方の視点からこの話題について考えることが必要かもしれません。

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TaTsu
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